プリンス.com
非公式のファンのサイトです。日産自動車とは無関係です。ここでいう「プリンス」は、かつてスカイライン・グロリアを作ったプリンス自動車工業(1966年に日産自動車と合併)のことで、ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品とは関係がありません。
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プリンス自動車のよくある質問

出典で確かめた答えと、確かめられなかった答えを分けて書きます

プリンス自動車工業は、いつ日産自動車と合併しましたか?

日産の年表では1966年8月です。村山工場が日産に帰属したことも並べて書かれています[1]。正確な日付は確かめていません。くわしくは1966年の日産との合併。

スカイラインはもともと日産の車ですか?

いいえ。日産の年表は、1957年4月に「プリンス スカイライン デラックス(ALSID-1型)」が登場したと書き、本文でも、富士精密工業(後のプリンス自動車工業)から発売されたと説明します[2]。日産の車になったのは合併後です。初代スカイライン。

「プリンス」の名前はどこから来たのですか?

皇太子明仁親王(当時)の立太子礼にちなんで付けられたと、ヘリテージコレクションの解説にあります[3]。名前の由来。

ホテルのプリンスと関係がありますか?

このサイトが扱うのは、車のプリンス自動車工業だけです。ホテルなど同じ名前のほかの会社や商品との関係は、確かめておらず、書いていません。

R380はどんな車ですか?

プリンスが戦後の日本で初めて開発したプロトタイプレーシングカーで、1966年の第3回日本グランプリで優勝しました[4]。R380。

プリンスの車はどこで見られますか?

日産ヘリテージコレクション(神奈川県座間市)に、プリンス系10台が保存されています。見学は完全予約制です[5]。見学の案内。

プリンスの工場の跡はどこですか?

東京都武蔵村山市の村山工場の跡地に、プリンスの丘公園があります[6]。公園の案内。

スカイラインGTと2000GTは同じ車ですか?

別の車です。スカイラインGTは1964年のレースのために作られた車で、2000GTは、その後の1965年2月に発売された市販車です[7]。スカイラインGTと2000GT。

プリンス自動車のもとは何の会社ですか?

日産の年表と市の資料は、旧立川飛行機の技術者が設立した東京電気自動車(のちのプリンス自動車工業)と書きます[8]。たま電気自動車。

このサイトは日産の公式サイトですか?

いいえ。非公式のファンのサイトで、日産自動車とは関係がありません。ロゴや公式の画像も使っていません。

数字が公式のページと合いません。

公式ページの中にも、諸元と文章で数字が食い違っているものがあります(スカイラインスポーツ、グロリアなど)。このサイトは両方を載せています。ほかに誤りに気づいたら、お問い合わせからお知らせください。

日本グランプリは何回開かれましたか?

日産のショートストーリーによると、1963年から1969年まで、1965年を除く6回です。1970年は、日産とトヨタが出場をとりやめると発表し、大会は中止になりました[9]。プリンスの車が関わったのは、1964年(スカイラインGTとグロリア スーパー6)と1966年(R380)です。日本グランプリ。

スカイラインGTは、何台作られたのですか?

日産の解説では、スカイライン1500(S50型)のホイールベースを200mm延ばして、グロリア用の6気筒G7型エンジンを載せる手法で、100台が作られました。1964年5月1日に発売して、第2回日本グランプリ(1964年5月3日)の出場資格を得ました[7]。

G7エンジンの何がすごかったのですか?

日産の解説は、1,988ccのG7が、日本で初めて100psを超え、105psを出したエンジンだと書きます。2リッター車で初めて6気筒SOHCのエンジンを載せたグロリア スーパー6(1963年に追加)が、モータースポーツでも活躍しました[10]。エンジンの記号。

R380を設計したのは誰ですか? 乗ったのは誰ですか?

解説によると、チーフエンジニアは、スカイラインの歴代の開発で知られる櫻井眞一郎です。1966年の第3回日本グランプリで優勝した11号車を運転したのは砂子義一で、日産との合併の前にプリンスが勝った最後のレースだと書かれています[4]。櫻井眞一郎。

R380の世界記録とは何ですか?

1965年10月6日に谷田部で出した記録は、コースがFIAの公認を受けていなかったため、国内記録です。FIA公認の世界記録は、1967年10月8日に、R380-II(A-II型)が7種目で出したものです[11][12]。1965年の記録の数は、公式ページの中でも食い違いがあります。R380の速度記録。

最後のプリンスのグロリアは、どんな車ですか?

ヘリテージコレクションの1967年のグロリア スーパー6(S41D)は、日産とプリンスの合併のあとに作られた最後のモデルで、PRINCEとNISSANの両方のエンブレムが付いている、と解説にあります[13]。グロリア。

村山工場では、全部で何台作られましたか?

武蔵村山市の資料は、1962年に新設され、2001年に生産を終えるまでの40年間で約1,000万台と書きます。日産になってからの台数を含む数字です[14]。村山工場。

見学の予約は、いつから取れますか?

日産の見学案内によると、毎月5日の正午に、翌月の予約カレンダーが更新されます。予約は先着順で、キャンセル待ちはありません[5]。見学の案内。

皇太子が実際に乗った車は、ありますか?

プリンスセダンの解説に、明仁親王(当時の皇太子)が1954年の第1回東京モーターショー(日比谷公園)でこの車を気に入り、あとで購入して、実際に自分で運転した車だと書かれています[3]。プリンスセダン。

もっと調べるなら

この面で確かめていないこと質問の答えにある事実は、それぞれ引用した出典で確かめたものです。質問に載っていないこと(販売台数や価格など)は、確かめていません。

出典

  1. 日産 企業情報 ヘリテージ 1960年代(2026年11月7日に確認)
  2. 日産 企業情報 ヘリテージ 1950年代(2026年11月7日に確認)
  3. 日産ヘリテージコレクション プリンスセダン(AISH-2)(2026年11月7日に確認)
  4. 日産ヘリテージコレクション プリンス R380(A-I型)(英語版)(2026年11月7日に確認)
  5. 日産 ヘリテージコレクション 見学のご案内(2026年11月7日に確認)
  6. 武蔵村山市 眺望が楽しめる公園(2026年11月7日に確認)
  7. 日産ヘリテージコレクション プリンス スカイラインGT(S54)(2026年11月7日に確認)
  8. 日産 企業情報 ヘリテージ 1940年代(2026年11月7日に確認)
  9. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー 日本グランプリの歴史(英語版)(2026年11月7日に確認)
  10. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1964年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  11. 日産ヘリテージコレクション ショートストーリー R380の国際速度記録(英語版)(2026年11月7日に確認)
  12. 日産ヘリテージコレクション ニッサンR380(A-II型)(2026年11月7日に確認)
  13. 日産ヘリテージコレクション プリンス グロリア スーパー6(1967年・S41D)(2026年11月7日に確認)
  14. 武蔵村山市 歴史散策コース(南西コース)(2026年11月7日に確認)